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落合英二 (薬学者) : ウィキペディア日本語版
落合英二 (薬学者)[おちあい えいじ]

落合 英二(おちあい えいじ、1898年6月26日 - 1974年11月4日)は、日本の薬学者薬化学者埼玉県浦和市〕生まれ。
千葉師範学校附属小学校千葉県立千葉中学校を卒業後、仙台第二高等学校に入学する〔http://henkeikin.org/people-1.html〕。東京帝国大学医学部薬学科卒業。東京帝国大学医学部薬学科薬化学教室第三代教授。アルカロイド、塩素化含窒素複素芳香環化合物について研究、その結果として、多数の新化合物を登場させた。1969年文化勲章受章。
1928年 東京大学 薬学博士 学位論文の題は 「シノメニンの構造論」〔博士論文書誌データベース〕。

== 研究業績 ==
落合英二は、近代薬学の開祖として知られる長井長義を初代とする、東京帝国大学医学部薬学科・薬化学教室の継承者(二代近藤平三郎を経て、三代目となる)である。
落合が研究に励んだのは、昭和の初期から、第二次大戦の戦前・戦後に至る激動の時代で、物資・エネルギーなどが不足していたので、研究環境には恵まれなかった。しかし、長井長義以来の伝統を発展させ、また多くの優れた研究者を育成した。
1925年5月、医学部薬学科助手に任命され、教室伝統の苦参塩基マトリンの研究に着手し、翌年12月 防巳科植物採集のため台湾に渡航、危険を冒して山岳を跋渉して大量の採集に成功し、また新種を発見する。1928年11月、シノメニンの構造研究により、薬学博士の学位を授与される。
1930年3月、助教授となり、7月、ドイツに留学を命ぜられる。9月9日、シベリア鉄道で訪独の途に上る。11月、フライブルク大学のProf.Staudinger(高分子化学の発見者、1953年ノーベル化学賞受賞)の研究室で指導を受け、有機化学の精髄を胆に銘じる。1931年7月、約束の期限で、Prof.Staudinger の研究室を辞去する。
9月、オーストリアグラーツ大学で微量化学の原理と微量分析の講習を受け、留学の土産として微量元素分析の機器一式を購入した。11月、ボン大学総Prof.Pfeifferの研究室で、錯塩、複塩、有機分子化合物などの実験研修を受ける。
1932年9月、2年間の留学から帰国。1933年4月、国内で初めてとなる有機ミクロ分析を開始する。
1938年3月、東京帝国大学教授就任、薬化学講座担任を継承する。4月、落合教授の研究指導は、伝統の苦参塩基マトリンに次いで、マラリアの特効薬として、軍用の規那塩基研究が緊急の課題となる。
さらに新構想で世界的な業績に発展する”芳香環状異項環”の研究が開始される。1944年5月「芳香属複素環塩基の研究」により、帝国学士院賞を受章する。経験的なパラメーターを使用する定性的な理論として知られる「有機電子論」の実用化を図る。「電子論」による考察によって、芳香族含窒素異項環をN-oxideとすれば、その反応活性が著しく増大することを理論的に推論し発展させた。
1950年11月、この頃より外国文献の入手が可能となる。またアコニット属アルカロイドの新しい研究分野に着目した。1951年8月中旬、アコニット研究資料を収集するために岡本敏彦助教授と教室員を同伴して、那須大丸温泉周辺の山岳地帯を跋渉した。1952年8月、佐渡の山地でアコニットを採集する。1953年8月、本州の最北端下北周辺のアコニットを採集する。
1959年3月、定年退官を迎え、最終広義の演題は、「キナ塩基誘導体の研究」、「落合英二教授報文目録」(460編の論文目録)が発行された。3月31日、東京大学教授退官。5月、東京大学名誉教授の称号を授与される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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